RESEARCH TOPICS
「フタ」ができる分子の容器でイオンの出入りをコントロール
穴の開いた構造をもつ分子は,内部空間でさまざまな分子やイオンを捕まえることができるので,ミニチュアサイズの人工の容器に例えることができます。 このような分子をホスト分子,捕まえられる分子やイオンをゲストと呼びます。 従来の多くのホスト分子では,ゲストを取り込むのに要する時間は1/1000秒以内であり,人間の目で見ると「一瞬」です。 イオンは常に自由に出入りできる状態であるため,これらはキャップのない分子サイズの容器と見なすことができます。 一方で,私たちが日常生活で用いる容器の場合,キャップやフタを開閉することで,内容物を出し入れできるようにしたり,できないようにしたりすることができます(図1)。 この機能は当たり前のように思われますが,分子サイズの容器でこれを実現するのは今まで困難だと考えられてきました。
このような分子の容器に関する研究を,より実用的に,分子の保存や運搬,放出を目的とした精巧・高機能な分子機械などへと応用するためには, キャップの開閉により内容物の出入りをコントロールする技術の開発は不可欠です。 すなわち,人間の目で見て意味のある「時間スケール(数秒~数分~数時間)」で,イオンの出入りを止めたり促したりできるような機構の創出が望まれます。
本研究では,クラウンエーテルと似た構造にキャップを取り付けた環状ホスト分子を新たに考案しました(図2)。 この分子を用いて,キャップを交換することでイオンの出入りの「速さ」を自在にコントロールできる新しいホスト・ゲストシステムの開発に取り組みました。
キャップを取り付けるための部位としてメチルアミン(CH3NH2)を上下4箇所に導入した新しいクラウンエーテル型環状ホスト分子を合成しました。 予想通り,この環状ホスト分子はさまざまな金属イオン(Na+, K+, Rb+, Cs+, Ca2+, La3+)を取り込み, またその際に,穴の上下でキャップするような位置にトリフラート(CF3SO3–)が導入されました。 このトリフラートは,環状ホスト分子に導入したメチルアミンとの間の水素結合により弱く結合していることが結晶構造解析により明らかになりました(図3,4)。
先に述べたように,クラウンエーテルなどの一般的な環状ホスト分子がイオンを捕まえる過程は非常に速く,1/1000秒以内に完結 するものがほとんどです。 一方,本研究で開発した環状ホスト分子の場合,キャップを導入したことで,イオンの取り込みが非常に遅くなることが分かりました。 特に,ランタンイオン(La3+)の取り込みは非常に遅く,完全に取り込むまでに120時間を要します。 これは,トリフラートのキャップが穴の入り口をふさいでおり,イオンが穴に入る際の障害になるためだと考えられます。 この取り込みの「速さ」は,キャップの種類に応じて大きく変化します(図5)。 キャップが酢酸イオン(CH3CO2–)の場合,ランタンイオンの取り込みは5分以内に完了し, その速さはトリフラートの場合と比べて,少なくとも100倍速くなると見積もられました。
このように,本研究で開発した環状ホスト分子がイオンを捕まえるのに要する時間は,キャップの種類によって大きく異なります。 また,このトリフラートのキャップは,環状ホスト分子に導入したメチルアミンとの水素結合によって弱く結合しているため, 別のキャップ(陰イオン)へと簡単に交換することもできます。 この二つの実験結果に基づき,望み通りのタイミングでイオンの出入りを開始させる実験に挑戦しました。
今回交換に用いたイオンは,速やかに取り込まれるカリウムイオン(K+)とゆっくり取り込まれるランタンイオン(La3+)です。 トリフラートをキャップとして用いた場合,この2種類のイオンを同時にホスト分子に加えると,カリウムイオンのみが取り込まれました(図6:状態A)。 別の測定から,本来はこのカリウムイオン包接体(準安定状態)よりもランタンイオン包接体の方が安定であることが分かっていますが, より安定なランタンイオン包接体(図6:状態B)への変化は起こりません。 実際,2週間経過後でも,ランタンイオン包接体はほとんど生成しませんでした。 これは,環状ホスト分子に導入されたトリフラートのキャップがイオンの出入りを事実上完全に抑制していることを示しています。 一方,キャップを酢酸イオンに取り替えて同じ実験を行うと,イオンの交換は速やかに進行し,その交換速度はトリフラートのときの約75倍になりました(図6:状態C)。 さらに,状態Aにしてから120時間経過後に酢酸イオンを加えると,その時点から急速にイオンの交換が進行しました(図7)。 すなわち,キャップを取り替えることで,望み通りのタイミングでイオンの出入りを開始させることに成功しました。
これまで,ホスト分子におけるイオンの出入りのコントロールについて多くの研究が報告されてきましたが, いずれもホスト分子がイオンを捕まえる「強さ」を外部刺激によって変化させる方法に頼ってきました(図8)。 本研究では,イオンを捕まえる「強さ」を変えることなく,イオンの取り込みの「速さ」の違いを利用して自在なコントロールを可能にしました(図9)。 キャップによりイオンの出入りを遅くすることで準安定な状態を作り出すことができ,この準安定状態を出発点として, キャップを取り替えることにより望み通りのタイミングでイオンの出入りを開始させることができます。 準安定状態からのイオンの出入りの調節は,細胞の膜内外のイオン濃度がイオンチャネルによって制御される機構でも見られるように, 生物が生命活動を維持するための重要な働きの一つです。 本研究で開発したホスト分子は,この複雑な働きに類する機能を単一分子で実現しました。
本研究では,ホスト・ゲスト化学の「時間スケール」の自在なコントロールを通じて「時間」と「機能」をリンクさせる新手法を開発しました。 本手法により,時間軸に沿ってイオンの捕まえ方が刻々と変化するホスト分子を実現することができます。 本研究成果は,分子機能の精巧な時間制御のための重要な指針となり,必要な場所,必要なタイミングで薬剤や機能性分子を働かせ, 分子機械を駆動するための重要な基盤技術として発展することが期待されます。
[Reference]
“Anion-capped metallohost allows extremely slow guest uptake and on-demand acceleration of guest exchange”
Sakata, Y.; Murata, C.; Akine, S.
Nat. Commun. 2017, 8, 16005.
doi:10.1038/ncomms16005