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確率論に挑む金属錯体

金属を含む有機分子(金属錯体)の中でも,複数種の金属を含むものは,磁性材料,有機合成触媒等,さまざまな応用面から注目されています。 しかし,これらの金属錯体を合成しようとすると,有機物の合成では経験しないような困難に直面することがあります。 一般的な有機物の合成の場合,実験者の意図通りに結合を切ったりつないだりすることができ,得られた物質を放置しても結合が自然に組み替わってしまうことはありません。 しかし,金属錯体の場合には,金属と有機物の間の結合(配位結合)が組み替えを起こしやすく,数学の「組み合わせ論」で見られるような多種の化合物の混合物となってしまうことがあります。

単純化したモデルとして,図1のように,金属イオンが入る場所が二つある有機物(配位子X)を考えます。 同種の金属Aを導入したXA2を作りたい場合には,2当量のAを反応させればよいので合成は簡単です。 しかし,異種の金属A, Bを含む構造XABを作りたい場合には,Xに対してA, Bを1当量ずつ反応させてもXABのみが得られるとは限りません。 この場合,2H2 = 3種類の化合物が生成する可能性があります。 A, Bの反応性に差がなければ,XA2, XAB, XB2が確率論的に1:2:1の比率で生成します(図1)。 ただし,このケースでは3種類の化合物が生成するだけですので,他の2成分から分離するのはそれほど大変ではありません。

図1 二つの配位部位をもつ配位子と二種の金属イオンからは,三種類の錯体が生成する可能性がある。
図2 三つの配位部位をもつ配位子と三種の金属イオンからは,18種類の錯体が生成する可能性がある。 多種の金属イオンを含む錯体の選択的な合成は確率論との戦いとなる。

一方,金属イオンが入る場所や金属の種類が増えると,異種金属を含む構造を作るのはもっと難しくなります。 例えば,図2のように金属イオンが入る場所が三つある有機物(配位子X)を考え,そこに三種類の異なる金属A, B, Cを一つずつ導入したXABCを合成する場合を考えます。 二つの場合と同様に考えると,可能な生成物は3 × 3H2 = 18種類あり,A, B, Cの反応性に差がなければその生成率は2×(1/3)3 = 7.41%と見積もられます。 目的のXABCを他の17成分から分離するのは非常に大変ですし,低収率(90%以上が無駄になる)となりますので,この方法は現実的な合成法とは言いがたい状況となります。 異種金属を含む構造を作るのが難しくなる要因として,金属と有機物の間の結合(配位結合)が組み替わりやすいことも挙げられます。 上述の図2に示したXABCの例では,一旦導入した金属が外れたり入り直したりすることで,XABA, XBCA等の18種類の混合物に戻ってしまう可能性があります。 このような理由もあり,三種類の金属を含む錯体の合成は難しく,これまでにごくわずかの例しか知られていません。 従って,多種金属を含む構造を作るためには,確率論に任せるのではなく,意図した場所にその金属が入っていくための「仕掛け」が必要といえます。 そこで,そのような「仕掛け」を組み込んだ有機分子として,金属が入る場所が四つ(salen, salamo, O8の三種類)ある配位子H6L(図3)を開発しました。 この配位子は,三種類の異なる金属イオン(Ni2+,Zn2+,La3+)をそれぞれ最適な位置に収容でき, 可能な54通り(3 × 3 × 3H2 = 54)の生成物(図4)のうち,ただ一つの組み合わせの金属錯体[LNiZn2La]3+を自発的に作ることを見いだしました。

図3 配位子H6Lの構造と三種類の金属を含む金属錯体[LNiZn2La]3+
図4 配位子H6Lからは54種の錯体が生成する可能性がある

三種類の金属を含むこの錯体[LNiZn2La]3+は,最初にsalen部位にNi2+を導入し, その後Zn2+とLa3+を反応させることで,高収率で得られました(図6 [1])。 この錯体の構造は,X線結晶構造解析(図5)や各種スペクトルにより決定されています。

四核錯体の結晶構造。Ni2+(水色)が一つ,Zn2+(黄色)が二つ,La3+(緑色)が一つ取り込まれている。
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しかし,金属を入れる順番を変えると,この錯体[LNiZn2La]3+ではなく,別の組み合わせ([LZn3La]3+や [LNi3La]3+)が主に生成することもわかりました(図6 [1], [2], [3])。 これは,合成の条件下で,金属イオンが自由に入れ替わらないことを意味しています。 一般には,化学反応は温度を上げると加速されますので,三種類の金属を含むこの錯体[LNiZn2La]3+が自発的に生成してくるかどうかについては, 十分な量のZn2+, Ni2+が溶液中に存在している条件で錯体を加熱してみればわかります。 その結果,[LNi3La]3+に3当量のZn2+を加えた場合(図7 [4]), [LZn3La]3+に3当量のNi2+を加えた場合(図7 [6])のいずれも 最終的には[LNiZn2La]3+が自発的に生成してくることがわかりました。 逆に[LNiZn2La]3+に2当量のNi2+および1当量のZn2+を加えて加熱しても全く変化が見られず, [LNiZn2La]3+が安定であることもわかりました(図7 [5], [7])。 従って,金属イオンがはじめにどの位置に入っても,最終的にはNi2+がsalen部位,Zn2+が二つのsalamo部位, La3+が中央のO8部位に取り込まれた[LNiZn2La]3+へと自発的に変化していくことが明らかとなりました。

図6 配位子H6Lと三種類の金属との錯形成
図7 各種四核錯体の相互変換と安定性

このように,金属が比較的交換を起こしやすいという特徴をうまく利用し,三種類の金属を反応させたときに, 可能な生成物のうちから自発的に一つの特定の組み合わせのみが生成するのを助ける有機分子(配位子H6L)を初めて開発しました。 三種類の異なる金属イオン(A, B, C)を四カ所の最適な位置に収容でき,可能な54通り(3 × 3 × 3H2 = 54)の生成物のうち,AB2Cのみが自発的に生成します。 配位子H6Lの三種類の配位部位の特徴の違いが三種類の金属イオンを見分けるのに有効に働いた結果であると考えられます。 化学の力,すなわち有機分子の「精密設計」により,確率論に由来する困難を打破できたといえる成果です。

周期表中の元素の多くは金属元素(安定元素だけでも約60種類)です。 異なる金属をもつ構造にはまだまだ未知の可能性があると考えられており,異なる金属を自在に操る技術の開発は不可欠です。 本論文で発表した技術を発展させれば,三種類にとどまらず,さまざまな種類の金属を自在に組み合わせることができるようになります。 この技術は,金属を含む機能性分子を作るための,今後の金属錯体合成法の新しい方法論となり得る重要なものです。


[Reference]
"Overcoming Statistical Complexity: Selective Coordination of Three Different Metal Ions to a Ligand with Three Different Coordination Sites" Akine, S.; Matsumoto, T.; Nabeshima, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2016, 55, 960-964 (Hot Paper; highlighted as an Inside Back Cover).
doi:10.1002/anie.201508065